CONSULTANT DIARY川﨑依邦の日々

[2019/4/6]後継者への難題

4月6日(土)

心のバトンタッチ― 事例A

 

(1) 後継者への難題

「わたしは26歳の時から社長をしてきて40年、そろそろ引退したいよ。潮時かも知れん」。A社長のつぶやきである。A社長は体ひとつ、文字通りの徒手空拳で創業のスタートを切った。業種は運送業。今では年商30億円の中堅優良企業としての地歩を固めている。いま、A社長の心をかき乱すものに後継体制問題がある。

①税務調査

A社は株式未上場であるが、顧問税理士の試算によると株価は薄価の20倍とのこと。相続税の問題がある。株式の95%をA社長が所有している。「汗水たらして働いてきていよいよとなって、相続税がズシンとくるとは辛いことよ」 ―A社長の嘆きである。その上、税務調査が入って追徴課税がくる。その額、2億円。

「つくづく働くのがいやになる。利益を上げても税金に持っていかれる」。税負担が重くのしかかる。しかし、税務署にはかなわない。利益が出たら税金を払うしかない。ここにきてA社長の経営者としての意欲に水を差されている。「働いて働いて、一体どんな人生だったのだろうか ―」。

②息子

A社長には30歳の息子がいる。一流私立大学を卒業し、商社を経験して5年前に入社してきた。たたき上げのA社長からみれば、どうしても食い足りない。苦労が足りない。お金の苦労も人使いの難しさも知らない。「これで大丈夫か」。どうしても不安が付きまとう。30歳であるが、1人前として扱う気にならない。ヨチヨチ歩きにみえてくる。

息子は大学在学中に1年間アメリカ西海岸のロスアンゼルスに留学していた。語学ができる。商社時代にさらに磨きをかけた。いわばエリート人生を歩んできた。そのことがA社長にとっては心配の種である。

乗務員の気持ちが分かるのだろうか。乗務員をうまくやる気にさせるだろうか。息子はA社長の前では直立不動である。顧客と一緒に会食していてもA社長の背広を真っ先に脱がせて奉仕する。顧客にはそこまでしない。「実に礼儀正しい息子さんですね」と褒め立てられる。うれしい面もあるが、A社長の胸中は複雑である。「そんなことよりもっと仕事をしろ」。「息子は後継者として適任か」 ―自問自答の日々が続いている。

経営者に必要な資質は何か。それは判断力である。その決断について全責任を負う覚悟である。逃げ場をつくらないことである。ハラをくくることである。40年の経営者人生での教訓でもある。ヤクザとのつきあいもある。ヤクザにならず、巻き込まれもせずにどうしてつきあうか。それは弱みをみせないことである。常に優位な立場にいることである。こうしたノウハウは口で教えられるものではない。体で覚え込むものである。

果たして息子はそこまでやれるか。全責任をかけての決断の場に逃げずに踏みとどまるハラがあるか。

③事業承継

A社長は事業承継を70歳までに完了する決意を固めた。相続税対策として、筆者に経営相談をした。

「税金を安くすることはできるが、難しいのは、経営者魂を息子に相続することだ。ひとつ相談に乗ってほしい」

つづく

カテゴリー: 経営コンサルティング活動の実話
| 投稿日: 2019年04月07日 | 投稿者: unityadmin

[2019/4/5]つぶれる覚悟で

4月5日(金)

後継者をどうする― 事例A

 

(1) つぶれる覚悟で

①後継者の育成はなるようにしかならない

いくら次の社長になるようにといっても、逃げていく者がいる。とりわけ運送業の経営はドロくさい。人間中心の社会である。首に縄を付けて社長をやらせても向かない者もいる。反対に社長になりたくてなったものがいい社長になるとは限らない。「オレは社長だ」と胸を張っているだけでは、乗務員はついてこない。ひとりよがりになる。後継者の育成は、なるようにしかならないと思い定めるべきである。この覚悟があって、以下のポイントがある。

②後継者には苦労をさせよ

後継者には苦労がいる。金と人の苦労がいる。この苦労を他人任せにしてはいけない。A社の息子たちは経営の苦労をB氏に任せてきた。これでは経営者にはなれない。知識があるからといって経営者になれ るわけではない。単なる頭でっかちである。知識を知恵にしていくものが苦労である。金と人の苦労は買わなくてはならない。

③後継者にすべて任せよ

後継者は机上の育成で何とかなるものではない。A社の事例でいえば、2代目B氏に社長を譲るべきではなかった。ストレートに、例え40歳であろうと、息子に譲るべきであった。B氏の希望通り辞めてもらうことがベターである。少なくとも後継者の育成ということであれば、40歳の息子が社長をやるべきであった。

「それではA社がつぶれる。銀行も荷主も反対する」―それでいいのである。つぶれてもいいから任す。ここのところが、後継者教育のポイント中のポイントである。なるようになる。

後継者教育の難しさは、正解がないところにある。B氏の30年間の歩みは後継者の育成ポイントの奥深さを示している。

以上

カテゴリー: 経営コンサルティング活動の実話
| 投稿日: 2019年04月06日 | 投稿者: unityadmin

[2019/4/4]息子にチャンスを

4月4日(木)

後継者をどうする― 事例A

 

(1)息子にチャンスを

運送業の経営者は、オールマイティ、一枚看板である。B氏のごとく、経理、労務、荷主と一手に実験を握っている。経営はワンマン型である。まず大前提として、遺産相続は法律でできても、経営能力は相続できるものではない。血がつながっているという理由で経営能力は引き継がれるものではない。別物である。

それぞれ個性が違う。育った環境も違う。「息子には好きにさせよ」との方針が理にかなっている面がある。無理をするとひずみが出てくる。

A社の息子のタイプは、番頭任せである。自分では前面に立ってやり抜こうとしない。二代目の1つのタイプである。内には家業だから仕方ない」との消極性がある。創業者は道なき道を切り拓いてきた。2代目ともなると、道がある。自らの意思よりも、道を進むことが定まっている。ここで“この道しかわれを生かす道なし、この道を行く”と覚悟を決めるかどうかである。残念ながらA社の2代目は「経営者という現実」から逃げている。いくら優秀な番頭であろうと。資本はこちら側にあるのである。

A社での新年会のことである。B氏は2代目の息子が40歳になったので、取締役に任命した。その発表を新年会で行うことにし、新任取締役である息子にスピーチさせることにした。かつ新年会での進行役もまかせることになった。A社の新年会は、それこそ30年前、いつもケンカ会となっていた。このケンカ会から脱出するべく班長制度の確立を行ったわけである。

従って、新年会では乗務員の様子をよく観察し、酒乱気味の乗務員はセーブしなければならない。この役割が班長と当日の進行役にあるわけである。40歳の新任取締役にとっては晴れのデビューの日である。経営者候補として名乗りを上げる日でもある。ところが、この息子は体調不良ということでダウンした。

「どうしたら2代目の息子を育てることができるか」

B氏の胸の内である。A社の事例から学ぶべきポイントは次の通りである。

 

つづく

カテゴリー: 経営コンサルティング活動の実話
| 投稿日: 2019年04月05日 | 投稿者: unityadmin

[2019/4/3]育成がノルマ

4月3日(水)

後継者をどうする― 事例A

 

(1) 育成がノルマ

B氏は経営ピンチの責任を取って退く決心をした。ところが「待った」の声が掛かった。銀行と荷主からである。

銀行いわく「ここでBさんに引退されると、どうやってA社は経営を続けるのですか。これだけの負債を抱えてどうするのですか。今Bさんに辞めてもらったら困ります。だれが経営するのですか」。

荷主いわく「今までA社が立派に経営して来られたのは、Bさんの手腕です。2代目は配車係にすぎません。Bさんが辞めるとしたら替わりの経営者を育ててからにして下さい。70歳になったから辞める ―では通りません。替わりの経営者が育つまで、それこそ80歳になっても続けて下さい」。

B氏は創業者との二人三脚の時代(10年間)、二代目を補佐した時代(10年間)を通じて、資金繰りのみならず、社内の様々な問題にも力を尽くしてきた。労務面についても、乗務員教育にも力を注いできた。物流品質の向上を目的として、6、7人の小集団を一班とした班制度を確立してきた。月1回の定例ミーティングを行い、交通事故ゼロ、納品トラブルの大幅減を達成したなど、優秀な班は1年に1回、新年会の席で表彰してきた。

B氏が入社してから20年になるが、班長制度は19年目に入っている。スタートのきっかけはB氏が入社して1年経ったころの新年会にある。20人ばかりの新年会である。宴会の際中に突然ケンカが始まった。殴り合いである。新年会がケンカ会となってしまった。びっくりしたB氏が創業者に問う。

「いつもこんなにケンカになるのですか」

「今年はこれでもおとなしいほうだよ。去年は店のフスマを破って大変だったよ。運転者のレベルというのはこんなもんだよ。でも、こんな調子では来年の新年会は中止だね」

B氏はこのことをキッカケとして乗務員教育に取り組むことにした。

目的はコミュニケーションの改善である。確かに酒が入るということもあるが、毎回新年会でケンカになるということは相互のコミュニケーション不足にある ―と気付いたからだ。

乗務員は孤独である。ハンドルを握るのはただ一人。コミュニケーションの改善策として班長制度をつくり、小集団活動を行い、年1回表彰式をすることにしたわけである。荷主の開拓についても、自ら荷主の訪問を行い、荷主のニーズの収集に努めてきた。現在売り上げの50%を占めるメイン荷主の獲得のきっかけもB氏の手になる。単に運ぶだけでなく、荷主のニーズに応えて倉庫をつくり、流通加工を行ってきたわけである。

銀行、荷主からの強力なB氏に対する引き留めによって、B氏は踏み留まることになった。そのかわり2代目社長は、既に60歳になっていたが、B氏に社長の座を譲ることになった。

2代目いわく「ここまできたら、わたしが社長を辞めます。Bさん、助けて下さい。そのかわり、わたしの息子(40歳)を1人前の経営者に育て上げてください。わたしは経営者としては失格でした」。

因果は巡る。歴史は繰り返す。創業者から頼まれたことと同じことを2代目からも頼まれる。B氏の運命というものである。2度の経営ピンチを乗り切ってから、10年経つ。早いものでB氏も80歳。2代目から託された息子も50歳。“光陰矢のごとし”である。

「わたしは、何とか2代目の息子を育てようとしてきましたが、うまくいっているとはいえません。どうしたら経営者は育つのでしょうか」

つづく

カテゴリー: 経営コンサルティング活動の実話
| 投稿日: 2019年04月04日 | 投稿者: unityadmin

[2019/4/2]運命は巡る

4月2日(火)

後継者をどうする― 事例A

 

(1) 運命は巡る

A社は30年前に経営不振に直面した。その当時、車両数は20台ばかり。創業者社長は経営を任せられる人材として外部からB氏を採用した。

B氏は、経営のピンチに見舞われている会社に乗り込んで経営を立て直すといったことを得意としていた。いわば、経営再建を専門とする経営コンサルタントである。B氏50歳、創業者社長60歳、創業者社長の長男は40歳だった。

この長男はドライバーとしてA社で働いていた。B氏は創業者社長を補佐し、経営のピンチを乗り切ってきた。B氏が入社して10年経つと、創業者社長が急死、2代目として長男が社長に就任した。2代目は当時50歳、ドライバーの仕事を徐々に離れて、配車係をしていた。

配車係といっても、いつも机と電話にへばりついているわけではない。急な休みの乗務員との交代とか、急ぎの仕事が入ると、ハンドルを握っていた。

資本金1,000万円は全部創業者の所有であり、創業者の死によって2代目が一挙に株と経営権を相続することになったわけである。いわゆる「経営再建請負人」として入ったB氏は、引き続き専務として2代目を補佐することになった。2代目の長男は当時30歳。

運命は巡るというが、またA社に経営のピンチが襲ってきた。2代目が就任して10年、B氏が入社してから20年目。今回のピンチの主因は2代目にある。2代目が、自らの友人の経営者の借金について連帯保証人となっていて、その友人の会社が倒産した。連帯保証人になることについては、B氏には内緒にしていた。反対されることが分かっていたからである。

2代目は経営者になっても相変わらずのパターンである。配車係が彼の仕事である。経営の実務、とりわけ資金繰りはB氏の領分である。B氏に黙って会社の実印を押したわけである。襲いかかる負担はハンパではない。その額2億円。

2代目は若手経営者の集まりにも入っていてこちらの活動もする。本業である配車係より熱が入っている。実態はアソビである。このアソビの流れで連帯保証人になったわけである。

B氏は創業者に請われて入社して、経営実務を今までこなしてきた。20年、年齢も70歳になる。B氏の気持ちとしてはそろそろ引退して2代目に引き継ぎたいと思っていた。世間では老人の年だ。その矢先の経営のピンチである。

20台だったトラックも今では50台に増え、中堅運送会社へと業容を拡大している。

 

 

つづく

カテゴリー: 経営コンサルティング活動の実話
| 投稿日: 2019年04月03日 | 投稿者: unityadmin