CONSULTANT DIARY川﨑依邦の日々

[2022/1/21]川﨑依邦の日々「生々流転」

1月21日(金)17,813歩、歩行距離15.5㎞。禁酒625日目。くもりのち晴れ。

終日愛知県内を駆け回る。

新幹線で京都を過ぎると雪がそれこそ吹雪いていた。

まだまだ春は遠い。

物事は「生々流転」である。

良い事も悪い事も同じ状態が永遠に続くことはない。

降りしきる雪もいつか収まる。

新幹線の車窓にて「生々流転」という言葉が浮かぶ。

第6波のオミクロン株はすごい勢いで感染者が増えている。

このペースだと「緊急事態宣言」もまもなく2月頃には発出される。

宿泊業、飲食業、そしてこの業種に関連する業種には

再々度ボディーブローとなる。

コロナが明けても立ち上がれないところも出てくる。

かつての1990年代後半から2000年代前半のバブル崩壊や

2007年のリーマンショックを上回る。

景気後退が現実のものとなるかもしれない。

「生々流転」良い事も悪いことも繰り返していく。

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| 投稿日: 2022年01月24日 | 投稿者: unityadmin

[2022/1/19]川﨑依邦の日々「春を待つ」

1月19日(水)13,996歩、歩行距離10.2㎞。禁酒623日目。くもり。

関東日帰り出張。

10:00 A社。

13:00には新大阪に向かって帰る。

とんぼ返りとはこのことである。

「春を待つ」という心境である。

オミクロン株の猛威が続いている。

どこまで感染者が出るのだろうか。

1日の感染者数が10万人を突破することも現実的となっている。

ここまでくるとなるようにしかならないと開き直っている。

じっと寒さに耐えて、

春(4月)になると収まっていることを願うものである。

それでも上場企業の2022年3月期の決算は最高水準になるという。

どうもピンとこない。

心がパーっと明るくならず、はしゃぐ気持ちにもならない。

“1月は行く、2月は逃げる、3月は去る”

と言い聞かせている。

「春を待つ」心境である。

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| 投稿日: 2022年01月20日 | 投稿者: unityadmin

[2022/1/17]川﨑依邦の日々「遠くまで行くんだ」

1月17日(月)17,740歩、歩行距離15.3㎞。禁酒621日目。くもり。

11:00 喫茶店にてA社長と面談。

12:15 別の喫茶店にてB社長と面談。

16:00 C社長と打ち合わせ。

18:00 大阪CMOに戻り、社長とミーティング。

早朝5:00過ぎの公園でのジョギング中、天空の月を見る。

ほぼ満月に近い。

「月まで行く人もいる。」と思うと不思議な思いに駆られた。

人類には「遥か遠くまで行きたい。」

という本能の如きものがあるらしい。

満月に近い月を見ながらジョギングをしていると、

私も「遠くまで行きたい。」と思ったことがあることを思い出した。

青春真っ盛りの20代の頃に

「遠くまで行くんだ。」と思ってからずっと走り続けてきた。

果たして遠くまで行けたかとなると心もとない。

たいして遠くまで行くことはできなかった。

それでも「遠くまで行くんだ。」と思って生きている。

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| 投稿日: 2022年01月18日 | 投稿者: unityadmin

[2022/1/16]川﨑依邦の日々「失ってもまた獲得するものもある」

1月16日(日)13,683歩、歩行距離12.4㎞。禁酒620日目。くもり。

8:00~15:00 大阪CMOにて内務。

1月の物流経営講座のテキスト作成や

労働基準監督署の是正報告書の作成、

CMOグループ各社の「経営改善計画」の修正等々。

さらに「事業再生」の本を600ページまで読み進める。

この本は1,000ページ近くある。

15:00 風呂屋に行く。

風呂上がりに牛乳を2本飲む。

禁酒をする2年前は牛乳ではなく

350mlの缶ビールを2本ぐっと飲んでいた。

至福の一瞬であった。

この至福を現在は失っている。

一方、朝の近所の公園4周(約8.5km)のタイムは徐々に上がっている。

今では1kmを6分30秒のペースで走っている。

このペースで42.195kmのフルマラソンを走ると

275分(4時間35分)である。

禁酒をする前は1kmを8分で走るスロージョギングであった。

このペースでフルマラソンを走ると337分(5時間40分)。

比べてみると、かつては近所の公園4週に68分かかっていたのが

55分にまで早くなっている。

約20%もペースアップしている。

ひとつ失うもの(酒の楽しみ)があっても

ひとつ獲得するもの(ジョギングのペースが早くなる)がある。

人生そのものである。

年と共に失うものがあっても、

その代わりに今まで分からなかったことが分かることもある。

安部公房という作家が「終わりし道の標に」という小説で

「本のページが最後までいってもまた次のページが開く。」

という意味の事を言っていたことを想起する。

生きている限り今日が終わっても明日のページを開くことを信じている。

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| 投稿日: 2022年01月17日 | 投稿者: unityadmin

[2022/1/15]川﨑依邦の日々「たこ焼き屋」

1月15日(土)14,691歩、歩行距離13.4㎞。禁酒619日目。くもり。

8:00 大阪CMOにて役員会。

10:00 テレビ会議(東京とオンラインで結ぶ)。

11:30 大阪CMOにてシーエムオーグループのA社について打ち合わせ。

その後、15:00まで大阪CMOにて内務。

私の携帯にメールが入る。

私の東京での学生時代の友人A君からである。

「たこ焼き屋を1月10日で廃業した。久しぶりに会いませんか。」

というものである。

私の学生時代というと約50年前のことである。

A君は私より3つ上で75歳である。

70歳を過ぎてたこ焼き屋を起業する。

息子と一緒にスーパーの一角のたこ焼き屋で精を出す。

それなりに繁盛していた。

それにしても70歳を過ぎて商売を始めた気力と体力には感心する。

起業の動機は「息子と一緒に働く」とのこと。

新宿高校を出てあと一歩のところで東京大学に入り損ねて

中央大学の法学部に入る。

それから人生いろいろ、山あり谷ありである。

学生時代A君とはハチャメチャなこともした。

その一つとして、焼き鳥屋に行ってすっかり酔っ払い、

どこかの大きな家の池で泳いでいた大きな鯉を捕まえたことがある。

「この鯉どうする。」と相談すると、

A君は鯉を調理し、

当時住んでいた寮の住民に何食わぬ顔でふるまった。

「美味しいよ。ごちそうだよ。」と言うと住民はパクパク食べていた。

今となっては完全に時効である。

そのA君が70歳にして器用にもたこ焼き屋の主人となる。

廃業は残念でもある。

再会してよもやま話をしてみたいものである。

カテゴリー: 川﨑依邦の日々
| 投稿日: 2022年01月17日 | 投稿者: unityadmin