vol.71

職業柄、経営者の伝記をよく読む。ユニクロの柳井正社長は経営者の生き方にとって示唆に富む。大学時代は「できたら仕事をせずに生活できる方法はないか」が生きるテーマであったという。団塊の世代なので大学の授業はない。マージャンの日々であったという。卒業して入社したジャスコ(現在のイオンリテール)を9ヶ月で辞めて、山口県の家業の洋品店に父親のひっぱりで何となく入社する。「接客はイヤだし、自分には向かない」と思ったという。そのうち「このままでいいのか。どうしたら成長するか」と自社の将来のビジョンを持つに至る。隣県の広島市に進出する。1984年のことである。家業に入社して広島に進出する1984年までの12年間、色々なドラマがあったという。自らの方針に反発して主だった社員が全て辞めていったという。そのとき柳井社長35歳〝自分の行き着く所まで行くんだ〟と高い志を胸に抱いていた。「会社は自営業者の集団であるのがベスト」「一人一人が商店の経営者の如く、自分の給料は自分で稼ぐことである」「仕事ほど面白いものはない」「仕事の面白さは挑戦の面白さである、全力投球せよ」と柳井社長は言う。

筆者は柳井社長と同じ年に同じ大学に入学した。ひょっとしたらマージャン屋のどこかで一緒に卓を囲んでいたかもしれない。あの時の学生、青春の只中にあったものの中から柳井社長のような経営者が生まれるとは想像もできない。筆者にとって誇りに思うものである。それにしても田舎の商店街の洋品店が今や世界のユニクロ、年商も遠くない時期に1兆円を超すほどに成るとは人生の面白さとしか言いようがない。やはりチャレンジする面白さは何事にも代えがたい。対象が仕事、スポーツ、山登り等色々ある。過去を振り返ってみると〝夏草や兵どもが夢の跡〟といった思いに捉われることがある。時は過ぎていく。それも無常である。筆者もできるだけ〝遠くまで行きたい〟と念じるものである。

vol.72

人生は「区切り」があるからいい。始めがあれば終わりがある。入学すれば卒業がある。「区切り」はけじめというか、気持ちが切り替わる。ひとつのことが終わると何かが始まる。ひとつ卒業すると次のステップに入学していく。人生はそれこそ死ぬまでひとつの事が終わり、次の事が始まるという繰り返しである。ダラダラと過ごすのではない。「区切り」を繋ぐものは目標、夢である。人はいつしか必ず死ぬ。生きている限り、夢を持つ。目標を持つことである。

生まれながらにして五体不満足の女性(20歳)の手記を読んだ。笑顔が良い。スマイルが輝いている。生かされている自己に感謝している。お母さんに感謝している。お父さんに優しい眼差しを向けている。その上、ボイストレーニングをして声を活かす職業に就く夢を持っていて実現に向かって歩んでいる。高校時代はチアリーダーを務めた。手記は人生の応援歌であった。何よりも自立、自活を目指して日々努力する姿が胸を打つ。手記にはサインがしてあった。「川﨑さんへ ありがとう。いつもスマイル!」おそらく健常者の何倍も時間をかけてサインしてくれたに違いない。励まされる。勇気づけられる。正に人生のチアリーダーである。

省みて経営コンサルタントである筆者も中小企業のチアリーダーたらんとするものである。励まし、勇気づけていくチアリーダーたらんとするものである。その為には自己の生き方を正して真っすぐに努力し日々精進していかなければならない。まだまだ圧倒的に努力が足りない。1年365日、生き続け働き続けねばならない。海援隊(武田鉄也)の〝母に捧げるバラード〟の歌詞ではないが、「遊びたいとか、休みたいとか、そんなことおまえ、いっぺんでも思うてみろ。そん時ゃ、そん時ゃ、テツヤ、死ね!」「輝く日本の星となれ!」との母の激励が身にしみる。中小企業のチアリーダーになることが筆者の夢である。人生は「区切り」を繰り返していく。生きている限りは「常にあと一歩」の精神で前へ向かっていくのみである。

vol.73

人の話をよく聞くこと。このことはコンサルタントの必須条件である。自らの見解や考え方を一方的に押し付けない。

筆者に相談を持ちかけてくる経営者は他人、ましてや部下、時には家族にさえ打ち明けられない悩みを抱えているものである。そこでコンサルタントは、ひたすら聞き役に徹する。すると相手は胸の内をさらけ出すことでスッキリしてくる。時には話しているうちに自ら解決策を見つけ出す。「スッキリしたよ。よく聞いてくれましたね」「勇気が湧いてきましたよ」。聞き役は相手との信頼関係がなくてはならない。ラポールである。ラポールとはフランス語で“信頼のかけ橋”という意味である。聞き役と相手との間でかけ橋を結ぶことである。かけ橋を支えている、いわゆる橋桁とは何か。それは共感する態度である。反発、拒否ではラポールは成り立たない。理論、理屈だけで人は動かない。人の心を動かす“何か”が必要である。“何か”とは共感する心の持ちようである。

「坊主でありながら、父親の葬儀ではいつものようにお経がスラスラと言えず、つっかえつっかえしたよ」。とあるお坊さんが言った。お経を唱えることが専門のお坊さんでも、自分の父親となると色々と思いが巡る。スラスラ出てこない。心の働きである。相談者と相見える経営コンサルタントは、ラポールがかけられるように心の姿勢をしっかりすることである。

一言でハッと立ち止まったり、勇気が湧いてくることがある。例えば父親の一言「思うように生きよ」、あるいは母親の一言「あなたなら必ずできる」。ありふれた父親、母親の一言を思い起こして心を励ましている。経営コンサルタントとして経営者の聞き役に徹しながら、勇気の湧いてくる一言を吐きたいものである。それにはラポールというかけ橋がいる。繋がっているという自覚がいる。辛いことや悲しいことに深く共感できる人間性がものを言ってくる。まだまだ筆者は修業が足りないと思い至るものである。

vol.74

A社はここ3年ばかり赤字続きである。運送収入が低迷している。自社ドライバーによるクレーム・トラブルも多発している。経営分析をすると、自社運送収入に占める人件費率が50%を超えている。しかも3年前と比較すると人件費率は5%アップしている。

「このままでは会社の存続に赤信号が点滅することになる」。経営の危機に直面したA 社長はどうするか。

経営コンサルタント(筆者)の力を借りて、抜本的な給与改革を行うことをA社長は決断した。A社のドライバー給与は時間外手当のウエイトが高い。運送収入とは関係なく、どれだけの時間働いたかで給料を払っている。従ってドライバーは時間を引っ張る傾向がある。テキパキとはやく仕事をして能率を上げると、その分給料が低くなる給与となっている。しかもA社のドライバーの給与は業界平均と比して20%高い。今までは傭車の差益分でなんとか息をついていたが、3年前から年々食い潰している。自車収支は人件費が重圧となり、赤字になっている。にも関わらず、自社ドライバーは1,000~2,000円の範囲とはいうものの、年々昇給している。

実はA社には上部団体のある労働組合がある。1人でも入れる労働組合の上部団体の分会がA社にはある。「何回も給料を下げようとしましたが、労働組合の反対で今日までズルズルときました。もはや限界です」。A社長の苦悩の言である。筆者からすると、A社の給与改革は会社の存続を賭けての改革となる。A社長の覚悟が求められる。

経営コンサルタントとしては給与案を作成することはできる。しかし果たして実行ができるであろうか。A社長が腹をくくれるかどうかである。経営コンサルタントは、如何にして給与改革を相手の社長に決断させることができるかどうかの力量が問われてくる。経営コンサルタントの力量とは何か。自問自答する。相手と信頼関係を深めていく力があるかどうか。どこまで相手の身になって考えることができるかどうか。経営コンサルタントとしての総合力といったものが求められてくる。

vol.75

経営コンサルタントはどうあるべきか。自問している。答えは未だ模索中である。企業にはさまざまな状況がある。一口に「赤字で苦しんでいる」といっても原因は奥深い。確かに運送収入が伸び悩み、コストがかさむと収支は悪くなる。どうしてそうなるのかという事情もさまざまであり奥深い。経営コンサルタントの役割はどうあるべきなのか。

盲人ランナーに付き添う伴走者がいる。伴走者は盲人ランナーのペースに合わせて走る。なかにはパラリンピックにて優勝するほどの実力がある盲人ランナーもいる。市民マラソンのランナーもいる。主役である盲人ランナーに付き添う伴走者。目となって一緒に走る伴走者。あくまで盲人ランナーの実力、ペースに合わせて走る。力のある伴走者は盲人ランナーを励まして完走に向けて走る。脇役である。脇役であるが、主人公として自分1人でも十分走れるほどの実力も持っている。伴走者を見ていると、企業と経営コンサルタントの関係について想いが向く。経営コンサルタントの理想は伴走者である。企業の実力に合わせて、ときには実力を引きずり出して一緒に走る力を持っている。

チアリーダーは闘うチームを励ます。主として女性が担っている。チアリーダーは試合の中では闘わない。チーム一体となって応援していく。試合の中で闘っている者はチアリーダーによって勇気を奮い起される。チアリーダーを見ていると、これまた企業と経営コンサルタントの関係に想いが向く。企業を応援し勇気を与える。もう駄目だと思っている企業を励ましていく。経営コンサルタントの役割の1つは企業のチアリーダーである。

伴走者、あるいはチアリーダーの様な経営コンサルタントを目指している。経営コンサルタントはどうあるべきかに対する答えである。