vol.66

ここぞという時の交渉に臨むにあたっての心構えとは何か。例えば従業員に解雇を言い渡す時の交渉はどうするか。ここに至るまでには、経営者にとってはそれなりの深い理由がある。ところが、いざとなると経営者は悩むものである。「労働基準監督署に駆け込まれたらどうしようか」、「彼をクビにして仕事に支障が出ないだろうか」、色々な悩みが湧いてくる。交渉のポイントは、経営者の決断の重さである。ここぞという時は法律がどうのこうのというよりも、「何故彼をクビにしなければならないか」という正当性である。経営者としての正当性である。真摯に向き合うことである。ここで逃げるとろくなことはない。腰が引けるとこの瞬間、経営者にとってはここぞという時、弱いままになってしまう。人間は嫌なことからは逃げたいものである。そこで踏み止まっていけるかどうかが、経営者には問われてくる。

経営者という仕事は、人間修業である。思うようにならないこともある。ここで挫けたりすると前に進まない。諦めるとそれまでである。なんとしても、思うようにならないことを実現してみせるとの強い心がいる。心に問う、「自分は正しいことをしているか」。正当性の確認である。正しいこととは、企業を存続させること、成長させることである。更に世間様のお役に立つことをしているとの確信である。こうした考えをベースとして「彼をクビにすることは正しいことかどうか」自問自答する。イエスとなると信念をもって実行する。こうしたプロセスひとつ、ひとつが経営者を鍛えていく。正に人間修業である。突き詰めて言えば全ての責任は経営者にある。クビにしなければならない社員を発生させたのも、経営者の責任である。日々自省し悩む。「これでいいのだろうか」。

経営者という仕事は辛いものである。楽することはあまりない。人間修業の日々の連続である。

vol.67

中小企業を対象とする経営コンサルタントの役割、使命はどうあるべきか。

「もうダメだ。どうしていいかわからない」、「何から手を付ければいいだろうか」…中小企業の経営者の悩みは深い。頭で分かっていても、なかなか思うように実行に結び付けない。日々の業務に追われる。時間の余裕がない。その上経営のピンチ=赤字に直面している。筆者は経営コンサルタントとして、数多くの中小企業の経営者の相談にあずかってきた。心掛けているのは、勇気を呼び起こして行くことである。「もうダメだ」と悩みの淵に沈みこんでいる経営者に対して、いくらダメさ加減を分析しても始まらない。お先真っ暗、と経営者は落ち込んでしまう。「よしやろう」と前へ向かって進む勇気を奮い起していくキッカケになりたい。「生きている限りは、苦しみや悩みはチャンスである」と鼓舞していく経営コンサルタントでありたい。

その為にはどうするか。

中小企業の経営者の苦闘に、共感する力を磨いていくことである。冷静になりすぎて突き放してはならない。共感力によって心と心を触れ合わせ、前へ向かっていくことである。よく聞くことが大切である。社員や得意先には言えないことを辛抱強く聞くことである。例えば、名医が「この薬はよく効くよ」と言ってメリケン粉を処方しても、患者はスッキリすることがあると聞く。病は気からと言って、名医を信頼する患者は例えメリケン粉でもスッキリする。よく聞くことで信頼感を深めていくことである。名医の域には筆者は未だ達していないが、「顔を見るだけで安心する」、「話を聞いて頂いてありがとう」と言われるくらいになりたい。夢である。中小企業の経営コンサルタントは、クライアントに絶望を与えてはならない。ダメさ加減の分析に留まることなく、“よく効く薬”を処方しなければならない。“よく効く薬”は安心と信頼を与える経営コンサルタントたらんとすることである。

vol.68

今年の7月、8月に福岡、広島、岡山、岩手、高松、横浜、埼玉と7ヶ所で物流経営セミナーを行った。駆け足で日本列島を巡った。あちこちの場所で、しきりに頭をかすめたことがある。“どこに行っても生活がある。色んな所で人が生きている”。

人生とは結局のところ“1人で生まれて色んなことがあって、そして1人で死ぬ”このことに尽きると、頭をかすめたものである。色んなこととは、喜び・哀しみ・愛する・怒り等のことである。平々凡々たる人生は望んでもありえない。波や風、嵐がつきものである。波乱の中で人は生きていく。波乱に揉まれて成長していく。

旅にいると、ふと人生を感じるものである。「出会いと別れの繰り返しが人生である」と、とりとめなく思ったりする。一瞬一瞬が一期一会であると実感する。物流経営セミナーの参加者は、1人1人が仕事を抱え、必死になって生きている人ばかりだと感じた。それに対して、経営コンサルタントとして何ができるか。詰まるところは、自らも経営コンサルタントとして必死になって生き抜くことで、“何ができるか”を示していくことである。

白寿近く、99歳の女性詩人がいる。最近詩集を発表した。詩は90歳の時から始めたという。62歳の男(息子)に“しっかり頑張れ”と発破を掛ける詩を作っている。1日1日全力を尽くせと、発破を掛けている。彼女の詩を読んでいると、勇気を貰ったような気がする。「そうか。生き抜くことか。とことん生命を大切にしよう」と、心から勇気が湧いてくる。詰まるところ、経営コンサルタントのメッセージは、クライアントに勇気を発信することである。「全国あちこちでお会いした皆さん。どうもありがとうございます。1日1日勇気をもって生き抜いていきましょう」。

今年の夏は暑い。いつしか秋が来る。そして冬が来て春となる。人生の歩みである。結局“1人で生まれて色んなことがあって1人で死んでいく”。色んなことを大切にして、生き抜いていこう。

vol.69

いつしか暑い夏も過ぎ去りました。日一日と秋の気配が深まっています。季節のリズムの確かさに感じ入ります。月日の経つのはあっという間のことですね。ふと無常を覚えます。色んなことがあっても季節は巡ります。諦念すら覚えます。この世に生まれた以上は、1人の例外もなく向かうところは一緒です。生まれて向かうところまでのプロセスが、人生というものなのですね。人生において必死に何事かに打込み続けるのは、それ自体が能力です。何事かとは、仕事であったり、スポーツであったり、人それぞれでしょう。仕事に一心不乱になれるということは、能力があるということです。普通は雑念が入ります。ある程度の達成をすると「もういいか」となりやすいものです。そこを乗り越えて、飽くことなく続ける力は執念、気迫の賜物です。どこからそんなパワーが生まれるのでしょうか。もって生まれた星、運、でしょうかね。

先日、時間があったので駒込から池袋まで約60分間、地図を持たずに山手線に沿って歩きました。東京にはビルが乱立し、賑やかというイメージがあります。ところが実際に歩いてみると、細い路地があります。古ぼけた自転車がポツン、と置き去りになっていたりしています。「表と裏」か、と感じたものです。物事は一面では捉えることはできないですね。そういえば、喜びと悲しみは紙一重です。いつまでも喜びは続きません。悲しみも時の経過とともに薄れていくものです。さらに言えば、幸と不幸も紙一重ですね。生まれてから向こうに辿り着く人生は一本道ではありません。壁にぶつかったり、曲がり道に迷い込んだりと色々あります。それこそ喜び、悲しみ、辛さ、嬉しさ等々の心の旅の連続でしょう。心の旅であるからこそ心の持ち方が大切ですね。生かされている自己に感謝しましょう。この世に生まれたことを感謝して、精一杯、一心不乱に仕事に打ち込み続けたいと念じています。

vol.70

人生は旅である。生まれてからあの世に逝くまでの歩みが旅である。道中は色々ある。人に助けられたり助けたり、あるいは泣いたり、喜んだり、…雨の日もあり、晴れの日もある。

過ぎてしまえばそれまでのことでアレコレ悔いたり、思い悩んでみせてもせんないことである。とはいうものの旅の道中、ふと過去のアレコレが頭をよぎることがある。引きずるということである。

静岡県清水市で1966年、一家4人惨殺(放火殺人)という痛ましい事件があった。犯人とされた男は無理やり自供させられて警察の調書44通は無効、 1通の検事調書のみ裁判で採りあげられた。検事への自白によって物的証拠はほとんどない中、死刑が裁判で下された。その時の裁判官は3人で多数決で死刑となった。無罪を主張したのが、熊本という主任裁判官である。彼はこのことがきっかけとなり裁判官を辞める。以後彼はこのことを引きずる。酒に溺れ、あげくは離婚し、ついにはホームレス寸前となる。司法試験はトップで合格し、じっとしていて変なことがなければ、間違いなく最高裁の判事までのぼりつめるといわれた男にも関わらず、転落してしまった。

ところが彼は2007年にテレビの前で告白する。世に言う袴田事件である。「袴田氏は無実です」と証拠を挙げて告白する。事件発生から40年余、袴田氏はいまだ獄の中、再審も却下されて精神にも異常が生じている。熊本氏は泣きながら謝罪する。過去を引きずることの重さを実感させる。

私の場合だったらどうだろうか。ふと考える。人生は旅である。道中は色々ある。もし○○だったら、あの時○○していればと色々と引きずっても仕方ない。成長するということは一つのことを断念することでもある。色んな可能性を断ち切って一つの可能性に賭けていくことが人の歩み=成長というものである。とはいうものの袴田事件の人生模様は、人の生き方についてふと立ち止まって考えさせる何かがある。