vol.46

私を経営コンサルタントの道に導いていただいた師匠<現在(株)日本経営代表取締役会長、小池由久氏>の事を述べる。私が経営指導中の会社での事である。たまたま、京セラの稲森和夫様が中心となって活動されている盛和塾の事が、その会社の社長との間で話題となった。2008年9月の事である。その社長は盛和塾で学んでいる。盛和塾で「私が印象に残っている講演がありましたね。講演者は本物のカタナを持ってきて講演しましたね。深く感銘を受けました」。この社長の話を聞いて私はすぐさまピンときた。「その講演者は、小池由久さんではないですか」。「そうです。よくわかりましたね」。

私は(株)日本経営の前身である会計事務所に、今から20年前勤務していた。20年前(1988年9月)にその会計事務所から独立したわけである。当時の直属上司が小池由久氏である。その時から本物のカタナを取り出して講演されていた。「経営者は真剣勝負だ。本物のカタナだ。生命がけである。働く者は木刀か竹刀である」。それにしても20年間、一貫して本物のカタナを使っての講演スタイルの継続力は、今更ながら感心させられる。愚直にやり通す。ひとつの事をやり続けて山をも動かすとはこの事かと感心したわけである。真剣勝負の迫力を見える化で本物のカタナを使うという事で実践している。

20年前の小池由久先生の講演がよみがえる。「真剣になる事」。「心からやるぞと思う事の大切さ」。「決死になる事で道を切り開く事」。その後の(株)日本経営の歩みは、正に本物のカタナの迫力によって成長、発展してきた事を証明している。

ひるがえって、私は本物のカタナで生き抜いてきただろうか。まだまだであると思わざるをえない。困難に直面しても勇気をもって進む事、まだまだである。それこそ本物のカタナとわたり合う事になれば逃げ出したくなる。本物のカタナとわたり合うには覚悟がいる。胆力がいる。人生を賭けてやり抜くという覚悟、経営の全責任をもつという胆力、こうした覚悟、胆力を身に付けていくのが日々の仕事の実践である。日々の仕事、正に人生に逃げずに勇気をもって立ち向かっていく事を誓う。

vol.47

 20才の頃に読んだ本で「持続する志」(大江健三郎氏のエッセイ集)というのがある。書かれている内容はあらかた忘れてしまったが、題名だけはしっかりと覚えている。20才の頃には持続しようとする志はあったか。あったような、なかったような、今となってはカスミかまぼろしの中である。少なくとも「志は持続したい」と強く念じたことは確かである。志は持続できているかといえば、今となっては答えようがない。しかし持続という言葉は心の奥深く大事にしている。どんなことでも、やりたいと念ずることは実行し続けることである。諦めずできるまでコツコツとやり続けることである。そういえば、20才の頃の志の一つに“どんなことがあっても生き抜く”を持っていたことを思い出す。自ら死ぬとか人生を諦めず、生命を大事にするという志である。「20才の原点」(高野悦子作)という本が当時の若者に広く読まれていた。20才の立命館大学の女子大生が自ら命を絶つ。遺稿集として出版された本が「20才の原点」である。その本を読んで大いに共感する所があったが「私はどんなことがあっても死なない」と強く思ったものである。“生きているうちは花である。死んで花が咲くものか”である。現在でも若者が自ら命を絶つケースをしばしば耳にする。硫化水素自殺等である。先行きに希望が持てなくて「人生にアバヨ」とするわけである。

 先行きに希望が持てなくても、日々生き抜いていく。耐えていく。そのうち季節も変わる。何よりも諦めずに一つのことを続けていくことである。生命のある限り全力で生き抜くことである。苦しいことや辛いことがあるからこそ、嬉しいことや楽しいこともある。苦しさや辛さにヘコたれず、やるべきことをしっかりとやり抜くことで次のページが開かれる。「持続は力なり」と念じ続けていくことである。思えば20才の頃から約40年はるかに歩いてきたが、過ぎてしまえば一瞬である。これからも生命のある限り生き続けるという志は持続していく。
必ず次のページが開かれるということを信じて持続していく。

vol.48

“光陰矢の如し”とはよく言ったものである。いつしか平成20年もあとわずか、押し詰まっている。まもなく平成21年の正月である。平成20年を振り返ってみる。重大ニュースとしては、経営コンサルタント稼業に加えて実際の運送会社の経営者になったことがある。正確には平成19年11月からであるが、満1ヶ年経過している。経営の基本は“入るをはかって出ずるを制す”である。それに加えて「覚悟」もいるとつくづく感じ入っている。実際に代表取締役に就任してみると、日々色々なことが起こる。運送業の経営者で、60才から二足のわらじで学問の道に入った人がいる。短歌の研究である。その人が二足のわらじの中で作歌されたのがある。心に残った5首を紹介する。

“過労死も職業病の設定も経営者らは除外されいつ”

“木枯らしの師走のくればボーナスの資金繰りなど頭をはなれづ”

“小企業がいかに励むも汗水流し働く利益少なし”

“一人の解雇を告げむ朝まだき死刑執行の痛みと思ふ”

“ピラミッドもパピルスの茎も三角は吉祥といえ決算は免ぞ”

筆者も経営コンサルタント稼動と運送業の経営者という二足のわらじである。中小企業の経営者の苦闘が伝わってくる。とりわけ木枯らしの師走にあって小企業がいかに頑張っても利益が出ないという想いはヒシヒシと伝わってくる。経営の責任をとるということは「覚悟」がいる。「覚悟」を決めるにはどうしたらいいであろうか。ひとつは「これもまた運命、天命」とハラをくくることではあるまいか。計画し望んで経営者になったわけでもない。正に運命としかいいようがない。更に“人事を尽して天命をまつ”との心構えが求められるのではあるまいか。やるべきことをやり抜いて全力を尽す、その結果の責任は一身に負うことである。

平成20年はまもなく過ぎ去っていく。平成21年へと時は回る。旅の途上である。旅のひとつとして運送会社の経営者という人生がある。これからも旅を続けていく。旅は正に人生である。出会いと別れを繰り返し、一期一会である。生きている限り、力の限りは生き抜き続けていくことである。

vol.49

「天のまさに大任をこの人に降さんとするや、必ず先ずその心志を苦しめ、その筋骨を労し、その体膚を餓えしめ、その身を空乏にし、行うことその為さんとするところに払乱せしむ」(「孟子」の中より)。(=天がその人に重大な仕事を任せようとする場合には、必ずまず精神的にも肉体的にも苦しみを与えてどん底の生活に突き落とし、何事にも思い通りにならないような「試練」を与えるのである)。

「孟子」の言はなるほど中国3000年の歴史の凄さ、知恵の深さ、含蓄について納得させられる。何事も簡単に楽して大成するものではない。「事の成るのは『困苦』のとき」との言葉も中国古典の一節である。事=物事が成就するのは困苦のときの踏張り、努力にあるという意味である。

2009年は大不況の年である。リストラの嵐が吹き荒れる。このときこそ「困苦」のときである。「試練」のときである。「天のまさに大任」とは使命感、天命の意識である。「人事を尽して天命をまつ」の心構えであらゆる努力を惜しまず、力の限り尽くしていくこと、その上で生き抜いていけるかどうかは「天命」に任せるしかあるまい。こうしたハラのくくり方を求められるのが2009年の激動である。日本でも山中鹿之助の有名な言葉がある。
「我に艱難辛苦を与え給え」別に望んで「困苦」や「試練」、「艱難辛苦」に直面しようとしているわけではないが、現実がそのような状況になるということである。

「100年1回」と喧伝される金融危機は、決してオーバーな表現ではなく文字通りである。企業経営にとっては逆境の年である。わかりやすくいえば、赤字の危機に直面する年(すでに赤字の会社はさらに赤字が膨らむ年)といえよう。この時に当たり、経営コンサルタントとして如何に処していくかである。経営危機に真価を発揮する経営コンサルタントであらねばならない。「困苦」、「試練」に強い経営コンサルタントとしてやり抜くこと ― これが私の2009年の心構え、決意である。

vol.50

「右へいくべきか、左にいくべきか」人生には迷うことがある。その時は決断するしかない。悔いはないと思い定めることである。あの時こうしていればよかったのに、と振り返ってはならない。振り返りたくなるのが人情でもあるが、ここぞという時は迷ってはならない。しっかりとした決断の裏づけは覚悟がいる。ハラを決めるともいう。右か左かの選択を迫られた時、逃げたいと思うこともある。逃げるとは現実から目を背けることである。このままでいい、このまま流されていたいと現状に埋没したくなる。先送りである。時間稼ぎである。人生には勝負どころがある。私も幾度か「右か左か」決断を迫られたことがある。経営コンサルタントとしての独立をするか否かの時もそうであった。人生は賭けである。「このままでも生活できるがどうしても独立したいか」胸に手を当てたものである。独立すると給料の保証はない。「自分の力で稼いでいけるか」。「二年間は稼ぎがゼロでも大丈夫、やっていけるか」と妻に確認したほどである。

不況の風は強まるばかりである。進むべきか退却かの判断を経営者は求められる。雇用の確保かリストラかである。首切りでもして生き延びていくか、何とかしのいでいくか、ギリギリのところである。「百忍主義」という経営スローガンを掲げている会社がある。「百回ぐらいは忍の一字でいくということです」創業経営者の言である。ぐっとこらえることが経営信条とのことである。それでも今回の不況は経営者に迫っている。「いつまで忍でいくか」正に「右へいくべきか、左にいくべきか」である。土壇場に立たされた場合は、計算して身の処し方を決めることはできない。ひらめきや直感で決まる。天啓ともいう。捨身ともいう。こうした姿勢を支えるものが人生に対する覚悟というものであろう。「死にたいと思います。でも今までの私とこれからの私が許してくれません」。絶望を振り払って、明日の希望を信じていこう。その為には今日の一日一日を全力で生き抜いていこう。