vol.36

70歳を超えている経営者がいる。口癖は「いつ死ぬか分からない。もう長い命ではない。あと3年でやるべきことをやる」。定期的に入退院を繰り返している。肝臓の病気である。
執念という言葉がある。何が何でもという強い意志のことである。70歳を超えている経営者に接するたびに“ 執念 ”という言葉が頭に浮かぶ。石にかじりつき、地をはってでもやり抜くとの強い想いが伝わってくる。この迫力はどこから生まれてくるものか。
「経営者の迫力は、度胸がすわっているかどうかですよ」。度胸とは腹をくくるということである。覚悟を決めるということでもある。私の経営コンサルタント稼業の師匠ともいえるA氏は、度胸がすわっている。A氏は経営コンサルティングにあたって成果があがらないとみるや、今までの経営指導料○百万円を現金で返却する。もちろんしばしば返却しているわけではない。私とA氏の25年に渡る付き合い、交流の中で1回経験したのみである。それでも「スゴイ」と感じ入った。そもそも経営者は「成果が上がらないから返却せよ」とせまっているわけでもない。にも関わらずここは捨て身しかないとみるや、ズバッと返却する。度胸がすわっているとしかいいようがない。
A氏と先述の70歳の経営者の共通項は何か。どこから迫力が生れているのか。どこから覚悟がでているのか。それは真剣勝負で生きているということである。A氏は「木刀で生きるな。真剣で生きよ」と実際に本物の刀を示して講演したことがある。生きるか死ぬかの瀬戸際である。切れば血が出てくるのが真剣勝負の世界である。経営の現実とは、正に倒産か成長かのいづれかが問われている。70歳を超えている経営者の日々についても、生死を賭けている。ここから度胸がすわり迫力がでてくる。
いるがえって私自身はどうであろうか。経営コンサルティングの現場での身の処し方はどうであるか。まだまだ至らないところだらけである。本物の真剣勝負をまだ、やり抜いていないとの実感をもつ。まだまだ「これから」、「発展途上」である。

vol.37

 “禍福はあざなえる縄のごとし”ということわざがある。悪いこと・不幸・ピンチが禍、幸せ・いいこと・絶好調は福である。禍福は縄のごとしである。わかりやすく言えば悪いことはいいことの始まり、いいことは不幸の始まりといったところである。私自身の実感からしても正にピッタリである。景気の波にしてもいつまでも好況は続かない。好不況は繰り返す。これからのことや、どうしたらもっと企業と人が成長できるか。真剣に考えあぐねて、もがくのは不況の時である。調子のいい時は過信する。気を引き締めているつもりでも、おごりが忍び寄ってくる。いつまでも好況が続くと盲信する。そこに落とし穴が待っている。従って心構えとしては、“悲観的に準備して楽観的に行動せよ”である。悲観的とは、最悪のケースを考えておくことである。まさかに備えることである。その上で行動する時は「なんとかなる」で楽観的にいく。色々考えてみると、人生は心の持ち方が大事であることに気付かされる。何かを喪えば全てを喪うのではなく、喪うことで得るものがある。九死に一生を得て生き残った人で、体が不自由になったが、その代わり今まで気付かなかったものに気付くことがある。
 経営に照らしてみると、ひとつの荷主がなくなっても次の荷主が出てくる。ひとつの荷主がなくなることは、悪いことでピンチである。ピンチをバネにすることができれば、次の荷主を獲得することができる。心の持ち方を前向きにすることによって“かふくはあざなえる縄のごとし”を実感する。更にピンチの時こそチャンスである。土壇場に直面してハラもすわり、度胸もついて真価が発揮されてくる。人もいない、金もない、ないないづくしであるが、心がある。心を強く持つことで事態は打開される。従って諦めないことである。すぐ投げ出していてはチャンスは巡ってこない。諦めずコツコツ前進することである。

 ひたすら一歩でも前へという姿勢こそ、正しい心の持ち方の基本である。

vol.38

「私も65歳になったら引退して、ゆっくりしたいですね。」当年とって60歳の経営者の言である。「引退してどうするのですか」。「私の夢は、今まで一緒に苦労をかけた妻と世界一周旅行をすることですよ」。「世界一周旅行も、ゆっくり回っても1年くらいですよ。それから後はどうするのですか」。「そこまでは考えていませんが、とにかく65歳になったら引退します。そのときにちゃんと引き継げるように、しっかりした会社にしておきたいのですよ。お手伝いして下さい」。
経営者それぞれの人生観がある。それこそ生涯現役を全うする経営者もいる。人それぞれである。先述の65歳で引退すると夢を語っていた経営者は、無念な事に62歳で突然死された。「ゆっくりしたい」等と心に思うと、急に病気をするケースが多い。気が緩むのかもしれない。一方70歳で会社を譲って、有料老人ホームに夫婦で入居した経営者もいた。しばらくは、有料老人ホームに入居して1年ぐらい、月1回のペースで話し相手を務めたこともある。高級ホテルで酒を酌み交わし、食事をしながらの懇談である。経営者にしてみれば、外界の刺激に触れる為の懇談であったかもしれない。引退を願いつつ叶わぬ経営者もいれば、完全に引退する人もいる。完全に引退した経営者の有料老人ホームでの話も、人生そのものである。年枯れても男女間のもめごと有り、人間関係の好き嫌いあり、○○日はマージャンをする、次の日は旅行する、○○日はウォーキングをする等、スケジュールも結構忙しい。経営者を引退しても、人生は引退できない。
私の場合は、人生そのものが経営コンサルタントとしての人生ということで、生涯現役かもしれない。私の父は1976年の冬12月、67歳の時、朝仕事へ行こうとしてバッタリと倒れ、そのまま帰らぬ人となった。そのころは定年は55歳の頃である。定年後12年間は現役を続けたことになる。最近は定年が60歳であるので、私の場合は12年をプラスすると少なくとも72歳まで現役であり続ければ、父を超えたということになるのかもしれない。あるいは、65歳の定年として12年をプラスして77歳となる。

いづれにせよ、人生は引退できない。「引退するその日まで生き抜くこと」このことが私の根本的な人生に対する考え方である。

vol.39

 ようやく寒さもゆるみ、春を感じる季節になっている。2008年の春である。いつもながら時の流れの速さに感じ入る。ついこの間、正月を迎えて「さあやるぞ」と気を引き締めたのに・・・。とにかく時の流れは早い。このペースで人生も進んでいくのであろうか。

 思えば40年前、広島から上京への道を進んだ。18歳の春である。期待と不安を抱いて上京したものである。まだ新幹線はなく、広島から夜行列車で20時間近くかかったと記憶する。「青春」真っ盛りの頃である。出発にあたって酒を飲んで、半分酔っ払って列車に乗り込んだ。酒を飲んだのは壮行会だからである。母の見送りもあった。「しっかり頑張れよ」とハッパをかけられた。服装はどういうわけか背広であった。母親にすすめられるまま、うす黄色の派手な背広を身に付けていた。フラフラと酒に酔っていたので、隣の席の女の人に自らの頭がもたれかかって「失礼な人」とばかり怒られたことである。

 あれから40年の月日が流れた。「期待を背にして40年か」とふと感じ入る。色々なことがあったが、何とかここまで辿り着いた。「何かに成るということは、何かを失って成るものである」。一応世間では経営コンサルタントに成ったが、失ったものは何か。ひとつ獲得すると何かを失う、こうしたバランスが人生というものではあるまいか。幸福とはこうしたバランスの上に成り立っているものではあるまいか。私は、これからも更に「遠くまで行くんだ」との決意をもって進んでいきたい。遠くまでとは、できる限り前へ進もうという意思の表れである。

 私の出発点は40年前、広島から上京した“あの日”である。大いなる希望に燃え、胸がワクワクしての出発日(それにしては酒を飲んでフラフラとは、何かを暗示している)。あの時の希望は捨てていないかと今にして胸に問う。あの時の出発の時のやる気は持続しているか。このような自問が降りかかるのは、いつものことながら春3月である。・・・自答する。― あの時の希望とやる気は今も持続していると ―

vol.40

現在の経営コンサルティング活動の状況を報告する。活動スタイルは「広域単身」。
一応は、大阪に本拠はあるが東京、名古屋にも宿泊拠点がある。1ヵ所での単身ではなく、広域の単身生活を続けている。時々「フーテンの寅」の映画が頭をよぎる。葛飾柴又を本拠として、かばん一つぶら下げて全国各地を飛び回る。行く先々での人情、景色に触れて、様々なドラマがある。定住することなくさすらうフーテンの寅の姿に日常生活を暮らす庶民にとってある種の親しみ、あこがれ、おかしさを感じさせる。笑いあり、涙ありの映画である。なにがしの日常のしがらみに縛られて暮らす庶民にとって、一見自由人の寅さん。翻って我が身に照らすと、なんとなく共通しているところもある。一つの企業に属しているわけでもない(もちろん一方においては、(株)シーエムオーグループの社長でもある。この方はなかなか大変である。なにしろ我が身一つではなく、グループメンバーの生活が肩にかかっている)。全国各地を訪問している。寅さんと違って、景色に深く触れたりすることはない。ちょっとだけ景色にも触れる。桜や花・草にも見とれることもある。人情も感じる。人生というものを考えさせられることもある。大げさに言うわけではないが、人生はなるようにしからならないものかもしれない。「広域単身」生活で、私なりに留意していることがある。まず運動である。朝は1時間ぐらい散歩するようにしている。宿泊拠点のある東京、大阪、名古屋では運動靴を履いてジョギングする。できるならハワイのホノルルマラソンでも走ってみたい気持ちがあるからである。東京では隅田川の岸をジョギングする。大阪では淀川。名古屋では行き当たりばったりのコースである。ゆっくりジョギングしていると、風にも匂いがある気がする。季節の香りとでもいえようか。走ったり歩いていたりすると「人生」のことを考えたりする。過ぎ去ったことは、取り返しがつかない。とは言うものの、ちょっとだけ反省したりする。あのときこうしていればとか、あのときは人生の分かれ目だったなぁとか想起するわけである。運命という言葉は、含蓄が深い。「運」と「命」で成り立っている。そろそろ「広域単身」で目にする寺や神社にも手を合わせることも必要かと一瞬反省することもある。