vol.31

不眠症は諸悪の根源である。心配事やストレスが続くと寝つきが悪くなり、不眠状態が現出する。精神変調の赤信号である。うつ鬱に突入したりするときの最初の変調が、不眠である。幸いにも筆者はどこでも寝ることができる。枕が変わっても意に介さない。全国各地いろいろと枕が変わる。それでも大概は支障なく、ぐっすりとはいかぬまでも大丈夫である。物流センターの立上げのとき等、パレットの上とか机の上で夜を過ごしたとの体験談もよく聞く。筆者も空港のソファだろうが、ちょっとのすき間があれば大丈夫である。経営コンサルタントはタフでなければ務まらない。

ところが大失敗もある。最終の新幹線で寝過ごして、新大阪で降りるべきところを福山まで乗り過ごしてしまったことがある。次の日は韓国出張で、朝が早い。どうしても朝の7時までには大阪に帰ってないと出張準備ができない。いまさら寝過ごしてしまってキャンセルもできない。一瞬「どうしようか」と途方にくれる。なんとか岡山まで電車を乗り継いで戻ることができた。さあどうするか。止む無くタクシーを探して「大阪」と告げる。タクシーの運転手は「え!」とびっくりする。夜中の1時頃のことである。やけくそとはこのことか。タクシーの中でも寝てしまった。「お客さん、大阪ですよ。家はどこですか」の声で目が覚める。料金は60,000円である。朝4時頃である。それから家に帰って1時間くらい仮眠して、韓国出張へと出発した。ちょっとのすき間の時間と空間(飛行機の中や待っているとき等)を利用して仮眠してやり過ごした。1年前のことで当時57才。原因は最終新幹線に乗る前の酒にある。たっぷりと酒を飲んでしまったせいである。経営コンサルタントはタフでないと務まらぬとはいえ、これは問題である。とはいってもあれから1年、あいかわらずの日々である。そろそろ年令のこともある。酒は辞めないといけないとこの頃思っている。年貢の納め時が近づいている。否、酒に関しては年貢を納めることとする。

vol.32

時の流れは確実である。8月の声を聞くと、もう平成19年も後半に入ったかとしみじみ思う。季節は確実に巡ってくる。“諸行無常”を感じる。物事には始めがあって、必ず終わりがくる。ところが終わったと思っても、次が始まる。終わりはまた何かの始まりでもある。春が終われば夏が始まり、夏が終わると秋がくる。

思えば、出会いがそうである。始まりがあれば終わりもある。経営コンサルティングの一瞬一瞬が大事である。一期一会の大切さである。出会いの一つ一つを、かけがえのないものとして取らえることである。筆者は、全国を駆け巡っている。いろいろな人や風景に出会う。物流経営講座の講師をしていて、色々な人に会う。参加の動機は様々である。しかし、こうして出会うということは運命である。また会えるかもしれないし、もう二度と会えないかもしれない。一瞬を大事にしなければならないゆえん所以である。

ある人いわく「サヨナラだけが人生だ」。確かにそうだとうなず頷く自己がいる。亡き父・母に呼びかける。“サヨナラだけが人生”・・・。また一方そうだからこそ“今”を大切にせよとささやく自己がいる。さらに語りかける自己がいる。“一隅を照らせよ”。一隅とは「片隅」のことで、つまり「片隅を明るく輝かせよ」ということである。いいかえれば一隅で触れ合う人に、勇気を奮い起こせということでもある。

省みて、まだまだそこまでの境地には至っていない。しかし少なくとも一隅で絶望を撒き散らしていることはないと信じている。全国各地で出会う人々に“一隅を照らす”ことで、一期一会を大事にしていきたいと思う。天国のどこかで見守っている父や母に、恥じない生き方をしたいと念ずる。時は正に8月のお盆である。亡き父・母の墓前にてしっかりと語りかけていきたい。「一日一日、一瞬一瞬を大事にして生き抜きます。どうか見守っていて下さい。」「この世に生まれたことを感謝して、生き抜いていきたい。」

時は正にお盆を迎えての筆者の想いである。

vol.33

猛暑の8月から9月へと時は流れ、朝夕は秋の虫の鳴き声が聞こえる。日中は残暑が続く。しかし一歩一歩、秋は深まっていく。9月1日は㈱シーエムオーの創業記念日である。1988年9月1日が創業日である。前日まで会社勤めし(現「㈱日本経営」)、休む間もなく9月1日が独立した日となる。今から思えばどんなこころざ志しで9月1日に自らの事務所のいすに座ったのだろうか。不安?これからの先行きの不安はあまりなかった。とにかく一歩進んだというしかない。これからの計画は?それも漠然としていて数値目標もなく、とにかく生きていくこと、これのみであった。不安も計画もないとしたら、何があったのであろうか。それはやる気である。とにかくこれから経営コンサルタント事務所を立ち上げて生き抜いていくこと、そのためには“なんでもやるぞ”とのやる気である。確かに来る仕事は拒むことなく何でもやろうとした。独立した9月のスケジュールは空白が目立っていたが、心の中はやる気で満杯であった。9月の最初の日曜日は、ある事業協同組合の講演をした。温泉地での講演である。何をテーマに話したのか。今となっては思い出せないが、3万円の謝礼を頂いたのは、覚えている。初仕事の報酬だからである。給料はもらって当然であるが、これから給料はゼロとなると独立したからには自分で稼がないと生きていけない。震える心で謝礼を頂いたことを覚えている。

それから時は流れ、現在に至っている。初心というものがあるとしたら「やる気」である。言い換えれば前に向かって突き進む精神である。生きている限りは、現役を貫くことである。更にいえば日々の積み重ねの力を信じることである。一歩一歩でも前へ進む気迫の大切さである。“この道より我を生かす道なし”と、ひたすら一歩ずつ突き進むことである。今のところ過去を振り返り、懐かしむ場合ではない。現役バリバリだからである。しかし毎年9月1日が来ると、はじめての事務所で自らのイスに座った時の心を振り返る。“初心忘るべからず”である。

vol.34

 松尾芭蕉は「旅に病んで夢は枯れ野を駆けめぐる」との句を残した。 人生は旅である。旅に病むとは旅に疲れたとの意味と肉体的な衰えを表現している。夢とは志のことであろうか。枯れ野は寂しい風景である。芭蕉の心象風景をかいまみせる句である。孤独感がにじむ。人は一人で生まれて一人で死んでいくという鉄則をかみしめさせる句である。 私自身も文字通り旅の日々である。時々巡礼しているような気持ちになることがある。巡礼とは各地の霊場や聖地を巡り歩くことである。旅の途中、途中で学ぶ。心打たれることもある。心打たれることの中心は必死さである。ひたすら必死で取り組む姿は訴えてくるものがある。必死とは必ず死ぬと書いて、それだからこそ生きている時は全力で立ち向かえということである。必死の姿は継続力に支えられている。

 ある経営者は毎朝5時には出社してドライバーの運転日報に目を通すことを日課としている。前夜酒席の付き合い等でどんなに遅くなっても朝5時に出社する。運転日報の行間からドライバーの声が聞こえてくる。例えばあるドライバーは「そろそろ辞めたがっているな。」経営者云く「たとえ社長を辞めても生きている限りは運転日報を読み続けたいですね。これが私の人生ですからね。」

 夢とは何だろうか。実現しないのが夢であろうか。旅においては夢の力は大きい。前進させる力がある。旅に病んで枯れ野になっても夢は駆けめぐるからだ。いいかえれば夢は希望のことである。生きている限りは希望を持ち続けていくことである。こうした人生に対する向かい合い方はやはり能力の一種である。夢を持って継続していくことは、能力のなせる技である。旅の途中では一木一草からでも学ぶことがある。

 ストリンドベリというスウェーデンの作家云く、「この世は巡礼だ、人生というのは苦しみつつ働けるだけ働いて、そして安住の地を常に求めて歩き続けなければならない。」私も巡礼の如く歩いていくことにする。

vol.35

 私のコンサルティングの原点はどこにあるのであろうか。
 最初に有料にて経営指導した関与先のことを想起する。約25年前、業種は飲食業。経営指導テーマは「会議指導」である。5店舗の店長が出席する。社長が前月の各店舗の収支状況を発表する。客単価、客数、1人の客がいくら使ったか。前年と比してどうか。目標とのギャップをどうするか。関与先の飲食業の業態は、ファミリーレストランタイプではなく、今でいえばキャバクラほどではないが、カウンターを挟んで酒食を提供する。接客する女性の質によって売上が上下する。服装手当が女性には支給される。接客する女性の質とは何か。これが不思議なことにいわゆるタレントのような誰がみても「美人」はパッとしない。そこそこ美人であって、愛敬のあること、お客の心が読めてお客を楽しくさせる女性が断トツに売上が良い。外見よりも顔の明るさとか表情の豊かさとか、メリハリの利いた会話能力等がものをいうのである。すごい「美人」は今でいえばストーカーのような熱狂的な客がつく。これが商売となると難しい。客との距離が取りにくい。客はできるだけ近づこうとする。近づきすぎると他の客がおもしろくない。いつの間にかすごい「美人」は消えていく。そこへいくと、そこそこの美人タイプで愛敬のある人は、客との距離もうまく取れている。ファンに囲まれる。会話能力といっても聞く力や質問する力に優れている。今から思うと、有料で経営指導しながら私が教えられていたようなものである。経営コンサルタントも然りではあるまいか。学問、知識の優秀さ、いわゆる美人度の高さよりも、客の心が読めることの方がものをいう。客の心、ニーズに応じて会話能力、とりわけ聞く力、質問する力を発揮する。「服装手当」は経営コンサルタントからすると読書のことか。あるいは実際の身だしなみのことでもあろう。経営コンサルタントの育成道場は教室ではない。関与先との関わりといった現場である。現場に立ち続ける継続力によって、経営コンサルタントは育成される。 思えば、最初の経営指導料は月5万円であった。