vol.01

経営コンサルタントの道に入っていつしか20年を超えた。月日の流れは早い。

時々、折に触れて心に深く残ったあれこれについて『経営コンサルタント便り』として紹介したい。企業機密もあるので、場所や企業規模等については脚色している。

A企業は創業者が亡くなり、2代目の時代に入っている。2代目は創業者の娘である。大学を卒業して、そのままA企業に入り、以来40年かれこれ60歳を超えている。2代目社長に就任したのは20年前で、創業者の急死によって後継した。2代目には息子がいる。この息子はアメリカの大学への留学経験がある。経営相談内容は次の通りである。「学校を卒業してがむしゃらに働いてきましたが、もう辞めたい。息子も継ぐのはイヤと言っています。」聞けば、荷主からの運賃値引要請がきつく、耐えられないという。そこで、「どうしたらいいか」という相談である。車両台数は20台である。決算書を拝見すると自己資本比率が80%もある。総資本に占める自己資本の割合のことである。実質無借金経営である。「堅実にコツコツできるだけ借金しないように歯をくいしばって頑張ってきましたよ。」2代目社長の言である。無借金経営という優良企業なのに後継もいないから辞めるとは不思議なことである。聞けば2代目社長には3人の兄弟があり、創業者の残した財産を巡って長年争ってきたとのこと。「ホトホト疲れましたよ。」

ところがよくよく話をしてみると、会社は自分の子供みたいなもので「明日は辞めよう、明日こそ辞めよう」と思いつつ現在まで必死になって生きてきたという。今=現在に全力を尽くすことしか頭になかったという。なるほどこれもひとつの人生である。さすれば、今=現在に全力を尽くすことは何か。ドライバーの給与を全面改革して荷主の運賃値引に抗していくしかないと確認した。息子が後継するかどうかは運命に任せる。
とにかく今=現在に悔いなく迷いなく全力を尽くそうと経営アドバイスをさせていただいた。

vol.02

自己資本比率が高くても、例え無借金でもじっとしていては企業の活力はむしばまれていく。

「北の零年」という映画を観た。主演は吉永小百合。史実に基づいている。江戸時代に徳島藩の洲本城代として淡路を治め1万4500石の禄高を有していた稲田家の物語である。明治維新後に起きた事変により北海道における移住開拓を命じられる。北海道の静内に移住した。移住地で生き抜くとの決意を固め自分達の国を創るとの夢を信じて苦闘した人々の物語である。見たことのない大雪(北海道の冬)に耐え、イナゴの大襲来にも屈せず北の大地を切り開く。主人公の吉永小百合の名演技が光る。クワを持つ手が荒れても夫の裏切りにもめげず、ひたすら開拓に打ち込む。ラストシーンはとりわけ心に残る。西南戦争の為、新政府は、吉永小百合が育成した馬を挑発しようとする。その挑発の役人が主人公の夫という設定である。その時、開拓村の人々はクワ・カマを手にして捨身で立ち向かう。たじろぐ役人(主人公の夫)それでも引き連れた兵隊の力で馬を取り上げようとする。その時突然、馬舎から何十頭もの馬が逃げ出す。助け人が現れる。アイヌの格好をした元会津の武士とアイヌの古老・・・・。主人公云く「夢を信じ続けていけば必ず夢は実現する。」「とにかく生き抜くことです。」

ゼロから何事かをなさんとするには、強い信念の力がものをいう。たまたま2月には北海道の旭川の中小企業大学校で「運送業の生き残り道」と題して講演する。(カリキュラムは別紙の通り)じっとして現状に固守するのではなく、「北の零年」が描いた生きることへの情熱を心の底に持って講演に望む。できればアイヌの格好をした元会津の武士の様にである。彼こそは今風に言えば経営コンサルタントである。知恵を出して集団、個人に貢献していく役割が経営コンサルタントの道だからである。

vol.03

経営コンサルタントとして問うている。「自らの存在価値はどこにあるか。」

創業者社長75歳、報酬はゼロである。毎日出社している。経営は苦しい。銀行からの融資もダメ。資本金がマイナスとなり、債務超過しているからである。聞けば、主要荷主の倒産によって追いこまれ、四苦八苦の資金繰りを続けているという。経営コンサルタントとしての存在価値が問われる場面である。経営コンサルタントは、勇気と判断を売る商売である。創業者の社長の勇気を奮い起こすことができるか。75歳の創業者社長のやる気を引き出すことができるか。あるいは、スパッとした経営判断を経営コンサルタントとして指し示せるであろうか。創業者社長が引退してどうなるものでもない。後継者も育成していない。創業のキッカケを聞く。車一台からのスタートと言う。知り合いから車を持って仕事をしたらと薦められたからと言う。「今までの人生で良かったことは何でしたか。悲しかったことは何ですか。」「そうですね。良かったことより辛いこと、悲しいことが心に強く残っていますよ。」聞けば、後継者と目していた息子(25歳)を事故で亡くしたと言う。いろいろと心の内を聞く。聞けば、息子の死亡退職金まで資金繰りに活用したと言う。辛い話である。「とにかく“生きる”ことのなかで活力を見出そう。生き続けることで亡くなった息子を供養していこう。」社長室の机の上の息子の写真を見ながら創業者社長はつぶやく。ここまでの会話のプロセスの中に、経営コンサルタントとしての存在価値がある。単なる知識の切り売りではない。ましてや、年上の経営者に説教を垂れる資格もない。ひたすら共感の土俵の中で交渉すること、この道で経営コンサルタントとしての活路を見出して行くことである。これからである。これからが本格スタートである。まだまだ足りないことが多すぎる。本当の意味で勇気と判断を売れる経営コンサルタントを目指して行こう。ひとつひとつの出会いで学びを深めていく。

vol.04

アッケラカンとクライアントの会長が言う。「私も70歳を超えて、いよいよ後がないですよ。肝臓ガンです。」本人の言うところによると、せいぜい生きてもあと3年。にもかかわらず意気消沈するどころか、経営意欲は十分である。荷主に対して物流合理化の提案をし、この度それが受け入れられて、年率30%の売上アップの見込みである。そこで如何にして社内体制を構築するか、とりわけ後継者をどうするか。息子は40歳になったばかり。「私の悩みは息子です。」会長から息子を見るに一言で言えば、“ボンクラ”となる。荷主からの信用がない。「あの男(息子のこと)を責任者にするな。」と荷主から直言されている。理由は、部下を掌握していない。机の上に座っているよりすぐどこかへ行ってしまう。会議になっても的を得た発言をしない。・・・等々である。その上会長の前では大人しくしているが、どうも夜遊びも好きである。息子の嫁からのグチも聞く。息子の借金の肩代わり(遊び代)をしたこともあるという。原因はどこにあるか。「この度肝臓ガンで病院に入院して、つくづく考えましたよ。」会長の分析によると一言で言えば、“怒ってばかり”にあるという。息子が会社に入ってからというもの、顔を見れば“怒ってばかり”。社員の前でも平気で「バカ息子」と叱る。押さえつけすぎたところにあると気付いたわけである。更に言えば息子は長男であり、物心がついて以来“怒ってばかり”、「これでは二重人格になるはずだ」「どこかでストレスを発散するようになるものもよくわかる。」
にもかかわらず、後継者は息子しかいない。あと3年(よくもって3年)しかない。そこで、これからは押さえつけることはしない、怒らないようにすると心に決めている。会長にとっては会社は息子みたいなものである。2人の息子がいるみたいなものである。なんとかして企業を永続させたいと強く念じる。とはいうものの、息子の顔を見ると“怒りたくなる”と言う。業の深さというべきか。

vol.05

格差の時代である。都会と地方、勝ち組と負け組、金持ちと貧乏、いろいろと格差が拡大している。ドライバーの仕事は年々、3K(きつい、汚い、危険)が深まっている。働くイメージからいうとマイナスイメージの格差が拡大している。

というと、この業界は暗いのか?確かに軽油がピーク(底値)と比して20円もアップしている。排ガス規制もある。その上で実質30%程度は(10社の内、3社)債務超過、もしくはスレスレで喘いでいる。「銀行からの借金は金利のみの払い、社会保険料は脱退、もしくは加入していない。消費税は滞納している。」→どうしたらいいでしょうか、との相談がある。どうするもこうするもとにかく生き抜くしかない。こうしたスレスレ・ギリギリで喘いでいる運送業は稀ではない。とすると、この業界は暗いのか?希望はないのか?そうではない。“人の行く裏に道あり花の山”である。“3K、暗い、苦しい”からこそチャンスがある。才覚と度胸でのし上っていくことができる。実際、勝ち組みの運送会社のトップ(創業者)は、体ひとつでハードワークに耐えて、才覚と度胸を武器にたくましく成長している。リスクをものともせず乗り越えている。「仕事はいくらでもあるんです。早くドライバーを一人前にしたい。」強いドライバーの育成を熱心に語りかけてくる経営者もいる。ドライバーの確保と育成、しかもやる気のあるドライバーの集団創りに成功すれば、100歩譲ってもそうした志のあるトップのいるところ必ず道はある。

正に“人の行く裏に道あり花の山”である。