「発心せよ」この言葉は、私の母の口癖である。過去のことをクヨクヨするのではなく、さあやろうと前へ向かっていく心を呼び起こせ=「発心せよ」の意味である。私は便利に「発心」を使っていた。過去の失敗、例えば試験の結果が悪くともクヨクヨするな、次がんばろうと、出来なかったことを棚上げして「発心」「発心」と楽天的に生きてきた。今にして思えば「発心せよ」の意味を軽く受け止めていたと悟る。母の想いは、今、ただ今が大事である。過去は取り返しがつかない。どんなにマイナスの状況、不利でも振り向くことはするな。心を強く持って、心中深く決意することが道を切り開く=「発心」である。私も人生60年生きてきてしみじみと感じる。失われた時間は戻らない。それよりも今、ただ今の時を大切にすること、生きている限り前へ向かって進むこと、「発心」である。
「捨てる神あれば拾う神あり」この言葉も母の口癖である。神に捨てられたと思って絶望するな、じっと辛抱していれば新たな神がきっと来る。「幸せと辛さは字が似ているよ。紙一重が人生よ」。母は広島出身で、1945年8月6日のピカドンの生き残りである。ピカドンのせいで体が弱く、いつも疲れやすく寝こみがちであった。私は小さい頃は、母と一緒に遊んだ思い出がない。いつも枕元でウロウロしていたような気がする。その母の口癖が今にして甦る。母も色々な悲しみや辛さを抱えていたことであろう。ピカドンで一時は、髪の毛がすべて抜け落ちる目に合ったこともある。そうした状況で「発心せよ」「捨てる神あれば拾う神あり」の言葉は、なるほど深いものがある。
そういえば、もう一つ母の言葉が甦る。「ひとつ捨てればひとつ得る。成長は色んなものを捨てていって成し遂げられる。捨てることを恐れてはならないよ」。どんな局面で発言された言葉かは、今となっては思い出せない。言葉だけが頭に残っている。
私の母は2000年9月27日永眠した。しかし、心の中で今も母は生き続けている。