vol.34
松尾芭蕉は「旅に病んで夢は枯れ野を駆けめぐる」との句を残した。
人生は旅である。旅に病むとは旅に疲れたとの意味と肉体的な衰えを表現している。夢とは志のことであろうか。枯れ野は寂しい風景である。芭蕉の心象風景をかいまみせる句である。孤独感がにじむ。人は一人で生まれて一人で死んでいくという鉄則をかみしめさせる句である。
私自身も文字通り旅の日々である。時々巡礼しているような気持ちになることがある。巡礼とは各地の霊場や聖地を巡り歩くことである。旅の途中、途中で学ぶ。心打たれることもある。心打たれることの中心は必死さである。ひたすら必死で取り組む姿は訴えてくるものがある。必死とは必ず死ぬと書いて、それだからこそ生きている時は全力で立ち向かえということである。必死の姿は継続力に支えられている。
ある経営者は毎朝5時には出社してドライバーの運転日報に目を通すことを日課としている。前夜酒席の付き合い等でどんなに遅くなっても朝5時に出社する。運転日報の行間からドライバーの声が聞こえてくる。例えばあるドライバーは「そろそろ辞めたがっているな。」経営者云く「たとえ社長を辞めても生きている限りは運転日報を読み続けたいですね。これが私の人生ですからね。」
夢とは何だろうか。実現しないのが夢であろうか。旅においては夢の力は大きい。前進させる力がある。旅に病んで枯れ野になっても夢は駆けめぐるからだ。いいかえれば夢は希望のことである。生きている限りは希望を持ち続けていくことである。こうした人生に対する向かい合い方はやはり能力の一種である。夢を持って継続していくことは、能力のなせる技である。旅の途中では一木一草からでも学ぶことがある。
ストリンドベリというスウェーデンの作家云く、「この世は巡礼だ、人生というのは苦しみつつ働けるだけ働いて、そして安住の地を常に求めて歩き続けなければならない。」私も巡礼の如く歩いていくことにする。