vol.61

新春になると出発ということが頭に浮かぶ。学校を出て、いよいよ社会に出発である。今年の就職率は大卒で60数%と悪い。人は誰しも、就職は大企業へと志向が向きがちである。安定した生活を求めるからであろう。ところが、経営コンサルタントの実感からすると大企業は厳しい。決して安定していない。かつての人気企業№1の日航も大幅リストラは避けられない。天下のトヨタも黒字化へ向けて社内引き締めは強まるばかりである。企業安定していない。変化し競争に晒され続けている。社会に出発する覚悟は、とりあえず5年間は辞めないことである。「自分の想いと違う」、「休めない」、「給料が低い」、「上司が合わない」といってすぐに辞める若者が多い。すぐに辞めると次は更に厳しくなる。社会に漂ってしまう。

極端な人は社会的引きこもりになってしまう。辞めないことがキャリアを作っていく。社会への出発は生活するということ、成長するということ、一人前になること、これらをクリアーしていく人生の旅である。楽なことばかりではない。むしろプレッシャーが掛かってくる。このことがナニクソというやる気を呼び覚まし、脳を活性化させる。困ったこと、苦しいことを乗り越えていくことで会社と人は鍛えられていく。就職は出会いである。いい出会いにするかどうかは本人次第である。とりあえずは給料を頂き、一人前を目指していくことである。毎朝のラッシュアワーを見るたびに「大変だな」と思う時もあるが、それが人生だ。学生気分を捨て去ることである。出発するということは何かを捨てねばならない。捨てる勇気がなければ出発できない。ページが終わったと思っても次のページが開けてくる。モラトリアムは猶予といって出発を猶予している状況である。「見る前に跳べ」まず一歩進めよ。就職した会社がいいかどうかは本人次第、5年は辞めるなというのが私のアドバイスである。人生の旅は覚悟の旅なのだ。

vol.62

「チャンスの神様には後ろ髪はない」。との諺がある。「ここぞ」という時はスピード良く、しっかりと前髪を掴まないとチャンスを逃がしてしまうという意味である。「ここぞ」と決断し、行動する為にはどうするか。人生の目標をしっかりと堅持することである。目標なくしては「ここぞ」という時、立ち遅れてしまう。

私の人生目標は生涯現役であることである。前向きな姿勢や挑戦する心構えを持続していかないと、生涯現役であり続けるわけにはいなかい。楽してゆっくりしたいとか思っていると、チャンスが来ても掴むことは出来ない。チャンスとピンチは表と裏である。チャンスの裏にはピンチがあり、ピンチの裏にはチャンスがある。したがって、一瞬チャンスと見えても迷うものである。不安が膨らむ。もし失敗したらどうなるか。次にはもっといいことがあるかもしれない。・・・色々悩むものである。「ここぞ」という時の決断が求められる所以である。勇気を奮い起こしていく時である。「ここぞ」の局面はそう滅多にあるわけではない。就職や転職も一つの局面である。前髪をしっかりと掴むことである。結婚もしかりである。企業経営にあっては、売上拡大のチャンスもしかりである。リスク(ピンチ)が潜んでいる。

私の好きな言葉の一つに“見る前に飛べ”という言葉がある。「よし」と思えばあれこれ“見る前に飛ぶこと”である。もちろん飛びすぎて骨折ぐらいだと止むを得ぬと覚悟しても、大事に至ることがないかどうかは判断しないといけない。判断というより直感である。

さて、私の実際の髪は前も後ろも薄くなってしまった。掴む髪がなくなっている。しかし、神様はフサフサとあるに違いない。しっかりと「ここぞ」という時は掴んでいこう。

何かやり残したことや未練が残っていても一旦は立ち去る時、“後ろ髪が引かれる”という。私の後ろ髪は薄いので引かれることもない。薄いのを通りこしていると言われる日も近いだろう。したがって、生涯現役を旗印に進むしかないと想い定めている。

vol.63

季節は巡るとはよく言ったものである。真冬の朝6時は真っ暗であったが、3月の声を聞くと人の顔も見えてくる。季節のリズムは正確無比に春、夏、秋、冬を巡ってくる。人生も色々なことがある。一見平々凡々たる日常に見えても、実は悲しみ、喜び、辛さ、嬉しさが織り成している。生きるということは色々なことがあるとしか言いようがない。

私の父は67歳でこの世を去った。1976年12月16日の朝、仕事へ行こうとして玄関でパッタリ倒れた。脳溢血である。その頃私は東京におり、第一報を聞いたのはその日の夜10時頃であった。新幹線の最終電車はすでになく、とりあえず行ける所まで行こうと列車に飛び乗ったのを覚えている。当時は携帯電話もなく、夜帰宅して伝言ということで父死亡のことを聞いたわけである。一瞬「悲しい」というより「えっ」という驚きの方が強かった。

次の日の朝、広島へ着くとすでに葬式の準備は終わっており、そのまま葬式に参加した。涙は流れるというより唖然とする想いが強かった。亡くなる少し前、11月3日に帰省し、久しぶりに父と酒を酌み交わしたばかりである。「自分は広島には帰らないよ。もし、どうしても帰れというのであればそうする」と父に伝える。父は「好きにしたらいいよ」と言ってくれた。もし、あの時に父が「お前は長男だから広島に戻って来い」と言っていたら、今日の私はなかった。全く違う人生を歩んでいたことであろう。父の一言の重みである。

父の人生とは一体何だったのか、と葬式の時に思いを巡らしたものである。真面目に死ぬまで仕事を続けていたこと、楽しみは仕事が終わってからの酒、おつまみも自分で作っていたこと。器用な人であった。父の人生も色々なことがあった。亡くなる前の日まで、父は自分が死ぬとは思いもよらなかった。突然あの世に行ってしまった。あれから早34年、春、夏、秋、冬と季節は巡った。人生は色々なことがある。色々なことがあっても、生きる限りは生き続けていくことである。

vol.64

去年の12月に突然、私は労働審判で訴えられた。私が社長をしている名古屋の運送会社の元社員からである。「自分は名ばかりの管理者であったので、時間外手当を払え」、「自分は会社を辞めるに際して、社長からパワハラを受けたので、損害賠償金を支払え」総計520万円の請求である。労働審判そのものは、平成22年1月26日10万円で和解した。確認事項は「時間外手当を払う必要のないこと」、「パワハラもないこと」でいわば実質上の全面勝利である。

「嬉しいか」と問われると正直言って反省することがある。そもそも元社員から訴えられるというのは反省である。元社員の怒りを買うことが、1対1の話合いの場で解決できず、法的手段になることそのものが反省である。常日頃からしっかりしたコミュニケーションをしていたか、NOである。経営コンサルタントとして全国あちこち飛び回っている。名古屋の運送会社には、月に3~4回しか顔を出していない。十分に腹割ってコミュニケーションを取れていなかった。たとえ月3~4回でも、真摯に元社員に直面していたか。真摯にキッチリと自分の考えを伝えていれば、このようなことにならなかったのではないか。法的手段に訴えられるということは、もちろん金もあるが怒りがないと、なかなか踏み切れるものではない。私としては元社員がそこまで怒りを持っていたとは、つゆにも思わなかった。経営者としての私の指導力の未熟さを反省する。

人の心はなかなかわからない。まさかと思うことも多い。私は労働審判で元社員に訴えられたとき「裏切りにあった」と愕然とした。しかしよくよく考えると、経営者としてはまだまだ未熟である。経営コンサルタントとしては面目を保った。実質、全面勝利であるからだ。しかし「嬉しいか」と問われると微妙である。嬉しいことは嬉しいが、反省することもあるからだ。今回の労働審判は、経営者のあるべき姿に想いを馳せることができた。その意味でも貴重な経験であった。

vol.65

人生は運の力が大きい。省みて「助かった」と思う時は出会いによってもたらされる。あの時、あの場所であの人に出会わなければこうはならなかったとつくづく思う。私は1968年に現役で大学に合格して上京した。その際私は、実は第一志望の学部(大学は同じ)には不合格だったので一浪しようかと思っていることを高校の担任の先生に相談した。郷里である広島に残って一浪しようとしたのである。ところが担任の先生曰く「一浪しても第一志望の学部に合格するかどうかわからない。ひょっとして現在現役で合格している学部すら不合格になるかもしれない。1年は長いよ。すぐ入った方がいいよ」。あのまま一浪していたらひょっとして関西、それも京都あたりの大学に行っていたかもしれない。当時の同級生は東京まで出て行く者は少数派である。京都あたりが手頃である。「そうか。1年は長いか」と思って納得して上京した。担任の先生の一言の力である。

就職の時は一気に東京を離れて四国の徳島に赴任した。きっかけは最初に面接してすぐ内定を貰ったことにある。実はほぼ同時に内定を貰った会社は東京の会社である。あのまま東京に留まっていれば、どうみても今日の姿はない。東京から遠く離れた四国の徳島が良かった。自らの「青春」に区切りをつけることができた。ゼロからのスタートにピッタリであった。しかも配属先が社長室人事課である。営業ではなく地味な人事課である。当時の人事課長が「川﨑君は私が鍛える」と言って非生産部門に配属した。この人事課長の一言がなければどうなっていたか。おそらく経営コンサルタントの道には進まなかった。

人生の運を支えるものは出会いの妙である。あの時、あの場所であの人に出会うことがなかったら、おそらく別の人生となったであろう。人生は不思議さに満ちている。不思議に直面して一瞬一瞬全力を尽くすことが、人生の妙味というものではあるまいか、とつくづく思うものである。